2010年8月13日 (金)

拉致まがいの強制連行!

 今月は歴史の勉強をブログでしています。

  終戦記念日ということで、太平洋戦争に関するマスコミ報道も今月は多いね!coldsweats01

  アメリカが様々な資料を公開するとともに、日本の戦争体験者も、重い口を

  開いているということでしょうか?

   カズの両親も昭和一桁世代で、昭和27年の占領が開放されるまで、少年期

  ~青春時代は、太平洋戦争前後の抑圧と開放を体験している世代です。

   そういうこともあって、太平洋戦争の昭和史について、多少の興味があり、

   3年前からこの夏の時期にいろいろな本を読んできました。

    

   さて、今日はタイトルの「拉致まがいの強制連行」です。

    北朝鮮による日本人拉致問題は、先日 金賢姫元工作員の訪日して話題に

   なりました。    しかし金賢姫元は、美人ですね!eye  そんなことはどうでも

   いいですがcoldsweats01 拉致問題は日本人として許せないという国民感情はあります。

    でも、65年前まで、日本は植民地にしていた中国満州や朝鮮から、多数の

   若者を強制的に日本に連れてきて、強制労働をさせていた事実があるそうです。

    先日読んだ、保坂正康さんの「昭和史の深層」の中にもありましたが、

   中国人の証言を本の中で明らかにしている内容では、その中国人はハルビン

   で25歳の時に、日本の憲兵に身柄を拘束されて、青島に連れて行かれ、

   そこから、他の中国人300人と船底に詰め込まれて、北海道に運ばれる。

    北海道の鉱山で、日々過酷な強制労働をさせられてという内容でした。

   また、朝鮮人については、毎年20~40万人単位で強制連行されて、終戦前の

   若者の労働者が少なくなっていた時に、徴用という名目で日本に強制連行され

   虫けら同然の労働をさせられて、多数の死者もでたようです。

     この強制連行の話題は、北朝鮮の拉致問題への関係もあるのか、

   マスコミも取り上げることが無いですね!

    shine 史実は時間の経過ともに明らかになるものです、日本の戦争前後の

   負の遺産として、そういった人権を無視した行いをした過去があるのです。

   

     今朝、親父にそのことを話したら、親父も戦争末期(昭和19年頃)

   に学徒勤労動員で、スズキ自動車の前身のスズキ織機の工場に、学徒動員

   に行かされた時に、朝鮮人が沢山働かされていたのを憶えているとの事。

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2009年4月13日 (月)

血流改善!

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コネタマ参加中: 歴史上の人物、誰が好き?

 「生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり[2]

    第9代目米沢藩主 上杉鷹山

上杉鷹山(うえすぎようざん)は、1751年7月20日、日向高鍋藩の江戸藩邸で、藩主秋月種美(あきづきたねよし)の次男として生まれた。歴史の教科書にも載らなかったこの偉大なる方は、数ある大名のなかで名君中の名君といわれた。養子として上杉家を継ぎ、若くして藩政改革に取り組み、藩の窮乏を救うことに成功したからである。

 

 彼の母は、筑前秋月城主の娘で春姫。春姫の母は、米沢藩4代藩主上杉綱憲の娘、豊姫、瑞耀院(ずいよういん)で、鷹山にとって上杉家は、祖母が現米沢藩主上杉重定と従姉弟にあたるという、遠い親戚関係にあった。

 江戸時代の各藩、すなわち大名家は、それぞれが小国家で、その経営は各藩独自の方針に基づいて堆進されていた。よって経営者たる藩主の資質・力量によって、その経営内容は大きく左右された。もっとも、どの藩も貧しく徳川幕府でさえ、財政危機の連続であった。財政の基盤は米を中心とした農業生産物であり、その年の天侯に左右されることが多く、各藩の経済はきわめて不安定であった。江戸時代を通じて、幕府以下どの大名家も、慢性的な不況にあえいでいたが、固定化された体制では、殆ど変わりようがなく、悪化した経営を建て直すことはまず不可能に近かった。

 そうした中で、上杉鷹山は、行政改革に成功し財政危機を乗り越えて経営改革を成し遂げたのである。

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 昨日、1日runは、お休みして一昨日のロングランで疲労した足のケアに、両親と近所の「あらたまの湯」で身体を温めました。その効果もあり、今朝はすっきりと目覚めて、朝のランニングに!

 温泉の効能は、血流改善にあります!身体を温めることで、血流は確実に改善します。血流を良くすることは身体の全てに良いのですhappy01.。当然と言えばそれまでなのですが、血液は酸素と栄養を身体の隅々まで運搬しています。温泉に入ったあとの両親は、良く眠ります!これがよいのです。

  

  

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2008年11月 3日 (月)

文化の日!

今日は文化の日で休日です。朝のランニングは浜北大橋コースに90分SLDrun

 朝食後、バックにお茶を入れてデジカメ持参で、いつも朝ランするコースにウォーキングに出発cloud。カズの朝ラン二俣コースを紹介します。

Img_1724 このコースの出発はさつき団地です。写真左。

この地点から約300m歩きます。

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        左の写真東洋濾器の交差点からランrunこの地点から約400mで堤防にぶつかります。

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 堤防にぶつかったら、その堤防下の道を左に(写真左)。ここから約1.8km直進します。

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   直進すると、飛龍大橋を左に渡ります。右写真

 この飛龍大橋からの景色は素敵ですよ。写真下がその景色で天竜川を北に鹿島橋が。

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飛龍大橋を渡って、左折し阿蔵の街に。今日は運よく、天竜浜名湖線の鉄道フェアをやっていました。転車台をちょうど回転しているとこをでした。この転車台は国鉄時代のもので、今は国指定の有形文化財に登録されているそうです。

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    Img_1735    

 ミニSLも走らせていました。子供サービスには最高の場所です。

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  阿蔵の街を写真右の天浜線「二俣駅」を左に見て走っています。このあたりから、体が温かくなります。

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   二俣駅を過ぎて、次の信号を右折すると、鈴木医院を左手に見ます。ここは親父のお抱え診療所。

いつもお世話になります。今日はお休み。

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その先に営林寺を右手に見てます。

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その先を右手に進むと、最近出来たばかりのJA天竜支店が、今日は産業祭ということで賑やかでした。

ここから、左手に二俣高校を見て、山王を過ぎて、二俣の街に入ってきます。

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    右写真の明治牛乳の建物を右手に見て信号を渡り、二俣に!今日は産業祭で歩行者天国。

この天竜は、本田総一郎の出身地です。当然、産業祭には、ホンダの懐かしのバイク・車が展示されています。

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写真左が

本田総一郎が最初の創った、ホンダカブ1953年。自転車に動力を付けたもの。

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右写真は本田の代表作で大変売れた、ドリーム号。

 

下写真はホンダクーペ。今でもカッコ良いね!                                              Img_1744

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写真下は、産業祭に出展していた、普通の石に書いた素敵な動物の絵です。良いアイデアです。

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今日の出展ブースに天竜病院のコーナーがありました。左写真。子供相手に手つくりコースターを体験していました。国立の時には考えられない、地元行事への参加です。ここで、体脂肪率の検査を無料でやっていましたので、折角だから、測定して貰いました。

カズの体脂肪率は12%でした。正常値は17~23%、25%以上になると肥満傾向だそうです。カズの12%はランニング愛好者としては普通のようです。

【体脂肪率の適性範囲(タニタ)】
性別適性範囲肥満
男性30歳未満 14~20% 25%以上
男性30歳以上 17~23% 25%以上
女性30歳未満 17~24% 30%以上
女性30歳以上 20~27% 30%以上

(1993年度~東京慈恵会医科大学健康医学センター適用)

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ゆっくり見学していたら、母校の横山小学校の皆様のブラスバンド隊がやって来ました。

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次は浜松消防局の音楽隊!

  岡崎城主だった、信康公もやって来ました。信康公は徳川家康の最初の子供で、つまり長男です。しかし、岡崎城主だった時に、織田信長の命で自害するように家康が言われ、ここ二俣城で切腹させられた、悲劇の若殿様でした。信康の正室は「徳姫」で信長の娘です。この徳姫が、信長に信康の近況をあることないこと報告していたのが、信康が謀反の動きとなったようです。

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記事がいろいろと脱線しましたが、最後は鹿島橋を渡り、自宅までのコースです。この鹿島橋からの朝陽が気持ち良いのです。今ですとちょうど下の写真の上から朝陽が登ります。ご来光です。

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2008年10月30日 (木)

「分度と勤倹」

本格的に秋らしくなりました。通勤途上にある銀杏の葉が赤く紅葉し始める。mapleこれから徒歩通勤の楽しみが一つ増えました。

Img_17211 写真左が天竜病院横の池の銀杏です。上の方は真っ赤に色づいていました。デジカメの写真の容量制限のお陰で、ブログでは今一ですが。

実物は凄く、鮮やかでした。

Img_1717_2  写真も通勤途上、県林業試験場の近くの農家の柿です。もう、収穫間近いで美味しそうな次郎柿です。カズの地元の浜北は次郎柿の名産地です。

これから、食卓に柿がとうぶん出て、柿三昧の日々となるでしょう。

柿 の 豆 知 識

柿の基礎データ

分  類 : カキノキ科カキノキ属
原産地 : 東アジア地方
シーズン : 9月~12月頃
主な産地 : 和歌山、奈良、福岡

おいしい柿の見分け方
へたの形がきれいで、へたが果実に張りつき果実との間に隙間がないものがよい柿です。
隙間があると虫が入り込んでいる可能性があります。
また果実がしっとりとして色味が均一で赤みがあり、大きくて重みがあるものを選びましょう。

柿の保存方法
ヒニール袋に入れて冷蔵庫の野菜室で保存すれば1週間ほど持ちますが、常温だと2日ほどでやわらかくなります。
柿は追熟しないので、購入したら早い目に食べましょう。
やわらかくなりすぎた柿は冷凍するとシャーベットとして楽しめます。

柿の栄養と効能
主な栄養成分
(可食部中100g)
ビタミンC(70mg) ・ カロテン(420cg) ・ カリウム(170mg )
注目成分(タンニン)


主な効能

風邪予防・美肌効果・高血圧予防・動脈硬化
脳梗塞・心筋梗塞・ガン予防・二日酔い改善

柿は栄養価の高い果物です。

柿に含まれるビタミンCの量は格段に多く、日本人がよく食べる果物の中でトップクラス。
ビタミンCは、風邪を予防し疲労回復を助けます。また血管を丈夫に保ち、皮膚を健康にするため、
高血圧や動脈硬化の予防にも、美肌づくりにも期待できます。さらにカリウムが多く含まれているのも特徴です。カリウムは血液中の不要なナトリウムを排泄させ血圧を下げる働きがあります。また柿のオレンジ色には、抗酸化作用のあるカロテンのほか、同じカロテノイドの一種「クリプトキサンチン」が多く含まれていて発がん抑制作用があるといわれています。渋み成分のタンニンにはアルコールを殺菌する作用あり、さらに利尿作用のあるカリウム、酸化還元作用のあるビタミンCの相乗効果で二日酔いにも効果があります。タンニンとは植物フラボノイドの総称で、柿タンニンはワインの20倍、緑茶の73倍にも達していて、生理活性にも大きく活躍します。

タンニンの特性

口臭を抑え虫歯の予防
胃腸よりのアルコールの吸収を制御すると共に分解物アセトアルデヒドを速やかに排泄する。
ダニ、ハエの忌避剤となる。
腸による糖質、脂質の吸収を抑制するため、
肥満防止に役立つ。

なお、タンニンには血圧の上昇を抑える効果もありますが、一方で鉄分の吸収は妨げられてしまうため貧血気味の人は過剰摂取を控えましょう。

 

さて、今読んでいる、石川さんの「日本の道徳力」。道徳力が消えかけているカズにとりましても、考えさせられる内容です。

 尊徳の名言集の中から200pxcondoleezza_rice_3 book

 ・大切なのはお金の稼ぎ方より使い方。

 ・貧者は昨日のために今日をつとめる。

 ・貧富の違いは分度を守るか失うかによる。

 ・倹約と貯蓄は変事に備えるため。

 ・分度と勤倹こそ富にいたる橋。

   「尊徳」の教えの中に「分度」の大切さを説いています。尊徳のいう「分度」とは自分の置かれた立場や状況を踏まえて、それに見合った生活をすること。そのためには自分の収入に応じた生活基準(分度)を定めて、その範囲の中で生活できるように節約に心がけること。 つまり身の丈に応じた生活をしなさいということですか?、その自分の身の丈を良く理解しなさいということですか?家庭では、収入に応じた生活に心がけ、出来るだけ節約して、明日のため、来年のために貯蓄に回しなさいということでか?勤倹とは勤勉に働き、倹約に心がけること。

 この、分度と勤倹は、子供の頃、両親や祖父や周りの大人に良く言われてきたことでありますが、今我々大人はそのことを口にしなくなりました。豊かになったからでしょうか?

 「尊徳はくり返し貧困からの脱出を説いていますが、それは貧しさが如何に人を卑屈にし、怠惰にし、絶望させるかを尊徳がよく知っていたからです。彼の7年の生涯は貧困からの脱出をいかに無気力な人たちに教え、実行させるかの一点でした。勤勉に努力し、自立することが基本と教えています。」と著者。

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2008年10月29日 (水)

揺れるアメリカ!

Photo_2 今、一番の注目は米国の大統領選ですよね!

米国発の金融危機による世界的な経済不安、そのタイミングで米国の大統領選が来月4日にあります。つい半年前までの米国内の状況は一変して、強かったアメリカのビジネスモデルが危機!その影響が日本にも嵐のように吹き荒れています。米国民と同等以上に、カズのような一日本庶民にとって、アメリカの大統領への期待は大きい。

 その期待を背負っているのが、写真のオバマ候補です。金融不安は生活への不安、いままでの強いアメリカのブッシュ民主党政権への信頼がこの金融危機で、確実に後退。イラク問題など、吹っ飛んでしまったような感じです。

 とにかく、今の生活を変えて欲しいと願う、米国民の現状はオバマ候補にフォローであるこは事実。この若きオバマ氏に世界の変革を託してみては?そんなオーラを感じるオバマさんです。

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2008年10月28日 (火)

積小為大のすすめ

Dsc_03691 「小を積んで大と為すのが成功への原点」eye

  二宮尊徳の代表的な教えです。先日図書館から借りてきた、石川佐智子さんの著書「世界に誇る、日本の道徳力」の尊徳の名言集の中から。

 道徳力が消えかけている、カズの脳細胞weepに、小学生の時の素直な気持ちになって、少しは道徳を甦らせようかと思い読み始めました。book

 千里の道も一歩から始まり、一株ずつの田植えがあって、豊穣の収穫があるのです。すべては一から始まり、その積み重ねで大きな事業が達成できるのです。二宮尊徳は幼少の頃からそのことに気付き、4歳の時に酒匂川の決壊で自宅の田畑が流されました。そこから一家の苦難が始まる。土砂に埋まった田畑や崩れた堤防の修復工事の無理が続き、父が病に倒れ、尊徳13歳の時に病死。倒れた父に代わり働いていた母も病弱で2年後に三人の幼い子供たちを残して亡くなる。残された兄弟たちは親戚に引き取られ、尊徳は伯父のところに身を寄せる。時に尊徳15歳、悲しみと貧困のどん底。しかし、尊徳はくじけることなく、昼は伯父の仕事の手伝い、夜は遅くまで読書を続けた。そのため灯油が減ると伯父に小言を言われた尊徳は、友人から一握りの菜種を借り、それを自宅の空き地に蒔いて1年後に10リットル分の菜種を収穫、それを灯油にかえて深夜まで学問を続けることができた。また、農家が捨てた棄苗を拾い、荒地を耕して苗を植えると、秋には一俵余りの稲籾が収穫でき、その喜びと発見が尊徳の貴重な生涯の教訓になりました。苦難のなかでも希望を捨てず、小を積み重ねることで大きな成果を得ることを自ら体験し、「積小為大」の心理を発見flair

Recommendp02big_2  二宮尊徳のこの蒔きを背負い本を読む姿の銅像は、あまりにも有名で今は少なくなりましたが、昔は小学校にはあったそうです。親父の通っていた尋常小学校にもあったとのこと。

この写真はJR掛川駅前の銅像です。

制作者:松田裕康
寄贈者:大日本報徳社・掛川経済懇話会
昭和63年3月13日
新幹線掛川駅開業記念

二宮金次郎(1787年~1856年)は、小田原市栢山に生れ、向学、勤勉、貯蓄のモデルのような一生を送った地域づくり、財政再建の専門家で、報徳運動の元祖です。
金次郎の指導を受けた岡田佐平治が掛川市倉真の人だったことから、掛川市に大日本報徳社がありますので、生涯学習都市掛川の駅前広場に、向学心の象徴としてこの銅像を設置しました。  昭和63年3月13日 掛川市長 榛村純一

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2008年10月10日 (金)

セキュリティー更新

  • ウイルス対策
  • スパイウェア対策
  • パーソナルファイアウォール
  • 個人情報盗難対策 (アドオンパック)
  • フィッシング対策
  • ネットワーク監視機能
  • ボットネット対策
  • ルートキット削除機能
  • ブラウザ保護機能
  • インターネットワーム対策
  • 侵入検知と防止機能
  • OS とアプリケーションの保護
  • Web サイト認証
  • パルス アップデート
  • ノートン インサイト
  • SONAR™ ビヘイビア検出技術
  • スパム対策
  • 保護者機能 (アドオンパック)

★エイデンで買ってきました、ソフト。今回更新しました、ノートン・インターネット・セキュリティー2009、毎年1回の更新で6580円の支出。毎日のようにネットを使っていますので、しかたない支出ですが。上記の機能があるそうです。この中で、Webサイト認証は以外と便利ですね。

 pencilさて、読書感想「東條英機 天皇を守り通した男」です。本日読み終えましたので最後の感想としてブログ記事にします。book

Photo 終戦後、60年以上が経過していろいろな真実が明らかにされています、この著書もその一冊ですね。

東京裁判は昭和21年5月3日から始まり、2年半の長きに渡り戦勝国が敗戦国を裁く一方的な、シナリオが決まっていた裁判だったようです。著書の中での「空想の歴史」と表現しています。

この裁判で東條と同じく死刑を宣告された、木村陸軍大将の長男(当時18歳)の父上に宛てた手紙が著書の中で紹介されていましたが、読んでいて涙が止まりませんでした。weep  東京裁判では、証拠や申し立てを裁判所が決定できる仕組みになっているので、連合国に不利な証拠はことごこく却下された。逆に南京虐殺のような証人のいない証言や風評さえもが証拠として採用された。その結果、広島・長崎への原爆投下や日本の都市への無差別爆撃、ソ連の日ソ中立条約を破っての参戦など連合国に不利な証拠はことごとく却下されたようです。

 しかし、この一方的な裁判の中で、東條英機の主張は一貫していた「日本の行った戦争は、自存自衛のためやむを得ず誘発されて行ったのであり、あらかじめ戦争を計画し準備したものではない。また、戦争の決定は天皇の意思ではない。ただ敗戦の責任は自らすすんで受け入れる」。この東條の一貫した主張は、反対尋問を行った、キーナン検事とのやり取りが著書の中にありましたが、キーナン検事の尋問にも動じず、東條の堂々とした姿と主張で、東條が「英雄」になってしまったようです。この東條証言は、マッカーサーも「東條証言の影響はおそらく深刻なものになるだろう、東京裁判の持つ矛盾は人類の永久に解決されない問題であり、多くの人が意見を異にするであろう」と後述している。著者は、東條はマッカーサーまでも打つ負かしたと書いています。

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 マッカーサーは昭和26年にアメリカ議会で「日本の戦争は侵略戦争ではなく、止む無く行った自衛の戦争であった」との主張を認めている。

 このような真実は戦後、あまりオープンにされていなく、戦後GHQによる情報統制により、日本の新聞・ラジオ・映画のマスメディアが「連合国の戦いは正義の戦いであった」というプロパガンダが浸透したようです。

 ミズーリ号の終戦調印式にも臨席し、陸上幕僚長も務めた、杉田一次さんは「東京裁判で堂々と日本の立場を主張したのは、東條総理ひとり。戦後、日本人は尾をふって占領軍の機嫌をとり、戦争責任を東條ひとりに転嫁してきた」と述べているそうです。

この本を読んで、靖国神社参拝の問題や中国他アジアの国が何故日本を攻めるのかの認識が少しかわりました。A級戦犯として靖国神社に祭られている東條英機は、立派な英霊ですね、以前テレビに東條の孫娘が「A級戦犯とは思っていません」という事を話されていたのを思い出しましたが、その通りだと思います。A級戦犯どころか「英雄」だったのが真実のようです。この福冨さんの著書は、東條英機について好意的に書かれていますので、これが正しい歴史認識だとするのは間違いかもしれませんが、最近までの、いろいろ資料を基に書かれているようですので、カズがいままで考えていた、東條英機の負の認識は変わりました。それどころか、日本の先人に逞しい、立派な軍人・政治家「東條英機」がいたということを、心に刻まなければいけない。

 読書の秋に、素敵な一冊でした。著者の福冨さんに感謝いたします。scissors

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2008年10月 9日 (木)

何故か虚しい!

昨日、ラジオで今、bananaバナナダイエットが流行りで、バナナがよく売れていて店頭に少なくなっているとのこと。納豆報道の時のようなことはないと思いますが。バナナが店頭からなくなるのは、カズにとっては困ります。日本人はダイエットや健康に良いと聞くと直ぐに飛びつく単純な国民性なのかね?カズの場合はダイエットでなくランニングの栄養補給に欠かせないものなのです。

 今日も、朝の味噌汁(ナメコと豆腐)を仕込んで、朝のrunにGO!今月も月間走行250kmに向けては、今のとこと達成ペースでうす。1ヶ月前からジョギングの後半にスピードアップすることをメニューに入れています。結構辛いですがweep。11月30日の42.195kmレースに向けて、50日前となりますので、ここから1ヶ月気合を入れてハードUPする。

 Imgp22231 さてさて、今読んでいる本「東條英機 天皇を守り通した男」について、3回目の記事をブログにします。ちょうど、7割を読み終えました。感想は何故か虚しい! 読んでいく中で目頭が熱くなるところが何度もありました。本を読んで、涙することはたまにありますが、この本はその一冊です。

東條英機のカズの認識は一般の方もそうだと思いますが、A級戦犯・開戦責任者・軍国主義のリーダーという負のイメージでしたが、この本を読んで180度とまでは言いませんが、100度ぐらい変わったようです。

負のイメージから、大変に立派な人物、日本人として、歴史上誇りに思っても良い。最近の総理大臣にくらべたら、数十倍、真のある人物だったようです。

前回のブログにもしましたが、第二次世界大戦は、情報戦争で、日本はこの世界の暗号解読とソ連のスパイ網に完全に指導層が無防備だったようです。手の内を全て見破られて戦った、というよいアメリカ・ソ連・中国・イギリスに仕組まれた戦争だったようです。日本が開戦のスタートを切った、真珠湾攻撃も全てお見通しであったようです。米国の陸軍長官スティムソンの日記に「当面の問題はわれわれが、あまり大きな危険にさらされることなしに、いかにして日本側に最初の火ぶたを切らせるような立場に彼らを追い込むかであった」とあるようです。これがアメリカの戦略だったのです。当時の米国国務長官のハルも最後通告となった「ハル・ノート」を日本が受け入れないとこを百も承知していた。つまり東條はアメリカの誘いの戦略にはまってしまった、と言うより、当時の外務省が如何に遅れていたか。ルーズ・ベルトは日本の真珠湾攻撃でアメリカ国民を奮い立たせ、第二次世界大戦に参戦する最高の演出をした。そんな計略も知らずに、東條は軍部を抑えて、日米交渉をなんとしてもまとめようと邁進するのですが・・・。12月の御前会議で天皇のご意思に沿えず開戦に至ったことを、悔やみ自宅で正座して号泣している姿を妻かつ子が見ている。そうなんです政治家東條英機は、天皇の非戦の意思を守るべく、日米交渉をなんとかまとめようと、軍部や世論を抑えていたのです。

東京裁判で東條の主任弁護人であった、清瀬一郎は「今次戦争における戦没英霊はわが国家の全滅を救い、不満足ではあるが、ポツダム宣言による条件降伏と天皇制護持の結果を得せしめてくれたものと考えてしかるべきであろう。真に二百万人の英霊に感謝する」と後述している。

 東條は東京裁判被告人として米兵に逮捕される時に、一度自決未遂を起こしている。昭和20年9月11日に東條の自宅に米兵が来たときに、逮捕される瞬間、拳銃で自決を試みているが、米兵に横浜の米軍病院に運ばれ一命を取りとめたとのこと。この拳銃のバンという音を耳にしたとき、妻かつ子は「夫、東條の冥福を祈るために南無阿弥陀仏を何度も唱えて、冷静であったと後述しているようです。凄いですね!

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2008年10月 8日 (水)

久しぶりの明るいニュースでしたが!

ノーベル物理学賞のニュースには、明るい気持ちにさせらてたと思いましたが、日経平均1000円近い下げで、100円突破の円高にもびっくりです。ノーベル賞の賞金も円高で大きく目減りすることは困ったことですね。そのまま外貨のままで円安までおいて置くのでしょうか?この為替と株安で各企業の業績下方修正のオンパレードになるでしょう。また、銀行や保険会社は、有価証券の評価損が凄いことになるでしょう。つまり、法人税も大幅に目減りするので、国の税収が大きく狂い始めるでの、更に大変なことにweep。今日、麻生総理が選挙どころではなくなると発言したようですが、その通りだと思います。

 ここ2、3日ラジオやテレビで太田裕美の歌をよく聴きます。昨日もテレビで本人が「木綿のハンカチーフ」を歌っていました。今日もラジオから「木綿のハンカチーフ」が流れてきました。カズの青春時代の懐かしい歌です。もう30年以上前の歌ですが、テレビの太田裕美はオバサンでしたが、声は全く変わっていませんでした。今日もラジオから流れてきた「木綿のハンカチーフ」を10代の時の純真な気持ちになって口ずさんでいました。flair

 「恋人よ、僕は旅立つ、東えと向かう列車で。華やいだ街で、君への贈り物探す、探すつもりさ。」

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2008年10月 6日 (月)

秋祭りのシーズンに!

カズの住んでいる町内の諏訪神社も秋祭りが今週末にあります。天候は今一のようですが。この町内は元々農家が多く、諏訪神社も新しい神社です。農家の人は芝居が好きなようで、祭りのメインは芝居小屋での村芝居です。この村芝居は参加している人達と、その関係者だけが盛り上がるものですが、それが良いのでしょうね。

B0092366_19473792  さて、前回記事にしました、著書「東條英機 天皇を守り通した男」を4割読みました。カズの認識はA級戦犯である東條英機は、軍国主義の代名詞で、東條が回りを押し切って開戦に進んだのだということでしたが、この著書ではどうも違うようです。昭和天皇の非開戦の意思を守り、最後まで米国との交渉に臨みを託していたようです。東條英機の妻「かつ子」の東條への人物像は「東條の性格を一言に申しますなら真っ直ぐな人間だったと言えるでしょう。厳格で生真面目な反面、優しくて涙もろいところがございます」と晩年語っている。

 東條家は岩手南部藩の出で、東條英機の父、英教は岩手より歩いて上京し、下士官機関である陸軍教導団歩兵科に入り、その後陸軍大学校の一期生として主席で卒業、軍人のエリートとして日清戦争で大本営の参謀となり、日本を勝利に導く。とありました。

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